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2011/05/08

14章後書き

連載開始当初からこれだけはどうしてもやりたかったという最大の目標の一つをようやくクリアすることができました。
すなわち自爆ショー(命名者:トロワ・バートン)のことです。
ちなみにヒイロ(本人)登場は、別に目標ではありません(゚∀゚)
クロスオーバーと銘打っているわけなので、出てこなきゃ詐欺です。
てことはこれまでがずっと詐欺状態だったってことですね\(^o^)/


さて、少し真面目な話をします。
その前に、前回更新以降に拍手とコメントを下さったお客様、どうもありがとうございます!
ようやく一段落つきました。
今回もお気に召していただければ幸いです!
クリフハンガーなラストでしたが!←


では本題は行を空けて続けます。

2010/11/11

Epilogueの後書きのようななにか

小話と言いつつ全部で12話にもなってしまった氷河中編をようやく終わらせることができました。
終わり方がアレでしたので、どうにもあとがきを入れる気にならなかったのですが、なんとなく書きたいこともあったので、こちらの方に最終話、00~Epilogueについてちょっと書いておこうと思います。

その前に。
Epilogue更新後、拍手をくださったお客様!
本当にどうもありがとうございました!!!
そろそろ写真も替えないとと思っているのですが、なかなかいい写真がなくて放置しております。
いつも同じ画像ですみません。

では本題。
注意書きもなにも置きませんでしたが、死にネタでした。
原作で既にナターシャが故人である以上仕方がないとは言え、問答無用で死にモノでした。

書いてしまってからこう言うのもなんですが、実は死にネタは嫌いです。
と言いつつ、以前にアフロディーテ中編でも死にネタは使ってしまっているんですけどね。

でも嫌いです。

なぜなら、卑怯な手法だと思うからです。
死というのは、どうしたって人間の感情に最も強く訴えかける現象です。
死ぬということ。それは生きている人間にとっては未知の領域であり、だからこそ恐怖の対象とならざるを得ません。
死というものを体験した人間は、既に死んだ人間だけなのです。
臨死体験なんてものもありますが、あれはあくまで『臨死』であって死そのものではないと個人的には考えます。
結局生きている以上、死という体験がどういうものであるか、理解することは絶対にできないのだと。

人というものは、知らないものを恐怖するようにできているのだと思います。
恐怖は人の感情の中でも最も強いものではないでしょうか。
ということは、絶対に知り得ることのない死というものは、最上の恐怖を人に与えてやまないものであるはずです。
例えばモブの登場人物でさえ、死んでしまう描写があれば、そのシーンは強く人の心に訴えかけるでしょう。
つまり、死にネタさえ使えば安易に強い印象を残すことができるのです。
それによって非常に簡単に、感動的なシーンなりストーリーを構築することができるのです。
それがわかっていてなお、そのネタを使うということは、やはり卑怯な気がします。
だから嫌いです。

とは言え、中にはストーリー上どうしても使わざるを得ないこともあります。
言い訳のようですが、今回の最終話もそうでした。
そんなに書きたくないのならば書かなければいい。
そうは思ったのですが、やはり氷河がずっとこだわり続けた『マーマ』その人をネタの基幹に据えた以上、その本人を描写してみたいという要求に勝つことができませんでした。
しがない二次書きの限界です(笑)

でも、あえて出すのならば、どうせなら最後の最期まで、と考えました。
原作では、彼女の生きている姿の描写は沈みゆく船上を最後に終わっています。
その後氷河は6年もの歳月をかけて、厚い氷の下でひとり静かに眠る彼女の元へ辿りつくことになるわけです。
非常に綺麗な絵面で描き出されているそれは、その間にいくつもの疑問を挟む余地がありました。
本文中にもいくつか疑問の形で書き込みましたが、ざっと上げれば最低でも以下の謎があります。

・日本に行こうというのに、なぜシベリア海から船に乗り込んだのか?
 (そこから日本に向かう船はない。船に乗る設定にしたかったのならウラジオストク等、日本海からというのが自然)
・なぜナターシャだけが沈みゆく船に取り残されたのか?
 (普通、子供と女性が優先のはずでは?)
・船の上に一度は出たはずなのに、なぜ船室で静かに眠っていたのか?
 (船の中にあえて戻った理由が不明)
・彼女の遺体はなぜあんなドレスのような服を着ていたのか?
 (旅行者のする格好には見えない)

他にも疑問点はいろいろありますが、グダグダ書いても仕方ないので割愛。
とにかくそのへんをまともに考察しようとすると、今回の話のような邪推のような答えを導き出すしかないという感じです。
というわけで、今回の話はできました。
プロット的にはもうちょっとねじ込みたい話もあったのですが、これ以上冗長になってもと思い、それも割愛しました。

プロットといえば、こんなことも書いてありました……
  
 >平和になって一年以上。東シベリアの海を割って潜っても、既にマーマの所へは行けない。
  それでも命日にはきちんとやってきた氷河。氷の上に佇み、ふと考える。
  自分だけがマーマを悼んでいるが、マーマには他の家族はいないのだろうか?と。
  もしも家族――自分にとっての母方の親戚がいるのなら、そちらにも知らせるべきではないのだろうか。
  きっと彼らも悲しむに違いない。
    そう考えたのは、『マーマ』がようやく、氷河だけのものではなく
    他の誰かにとっても大切な存在であったのだと気づいた証拠。
    氷河がいい意味で、マーマの陰から自力で抜け出したともいえるのではないか?
    あくまで『マーマ』の影を追って、だけれども。
    親離れの一歩。

というわけで、当初は氷河の親離れもテーマの一つにしようと目論んでいたらしいのですが……
できてますか?(笑)

以前の貴鬼小話のときもそうだったのですが、どうやら『成長』というテーマが好きらしいです。
自分がもう成長の見込みがないものだから、そうやって夢を見ようとでもしているのかもしれません

(笑)……と思ったが……わらえない……_| ̄|○